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宿曜経は空海が持ち帰ったのか? 宿曜道とインド占星術、現代の宿曜占星術の関係

占いの文化・歴史
星の弧の下を海を渡る帆船と、朱の紐で結ばれた巻物を描いた挿絵

宿曜経(すくようきょう)は、不空の名で伝わる占星術と暦の経典です。Kotyk(2018)は、空海が806年に日本へ持ち帰ったと述べています。同じ研究は、宿曜経の中身にインド由来の材料が多いと指摘しています。平安時代の宿曜道のホロスコープ術は、イランやヘレニズム由来の要素が強いとも指摘しています。

この記事は、歴史学・科学史の研究にもとづく整理です。宗派の教義や信仰を評価するものではありません。

宿曜経とはどんな経典か?

宿曜経は、唐の時代に中国でまとめられた経典です。月の満ち欠け、27の宿、七曜(1週7日)、十二宮などの占いの知識を含みます。

成立の経緯は、Kotykの博士論文(2017)が整理しています。759年に、不空の名で最初の版が完成しました。協力者に史瑤がいます。764年には、暦の専門家だった楊景風が注を挿入し、改訂されました。

Kotykは、この2人が僧ではなかったとみています。そのため、文章は仏典の翻訳らしくないと述べています。

宿曜経は、サンスクリット語やチベット語に対応する書物が知られていません。Kotykは、複数の資料を集めて編まれた書物とみています。

空海が持ち帰ったもの

Kotyk(2018)によれば、空海は806年に唐から帰国し、宿曜経の写本を持ち帰りました。この写本は、空海の請来目録に載っています。

Kotykによれば、空海の伝記『高野大師御広伝』(1118年)には、次の趣旨の記述があります。大同年間(806〜810年)より前は、日本の暦の専門家が、日曜(密日)を知らなかった。空海が帰国後に伝えた、という内容です。

この記述をもとに、Kotykは空海を、七曜を日本に導入した人物とみなすのが妥当だと述べます。

日本に伝わる宿曜経の写本には、系統が2つあります。空海の系統と、天台宗の円仁(847年)、円珍(858年)が持ち帰った系統です。両者は内容が異なります。Kotykによれば、矢野道雄の研究では、日本に伝わる系統が原型に近いとされます。

七曜と27宿

宿曜経で特に目立つのは、七曜と27宿の2つです。

七曜は、中国固有の習慣ではありません。Kotykによれば、矢野道雄(2003)は、七曜をギリシャ・エジプトで生まれ、イランやインドに広がった仕組みとしています。中国では、635〜638年頃の景教(東方系キリスト教)の文書が、最古級の言及とされます。宿曜経は、七曜ごとの占いの内容を詳しく説明した、中国で最初の主要な文献だったようです。

27宿は、月が通る27の区分です。中国の28宿とは、数が違います。

項目 中国の従来の体系 宿曜経
区分の数 28宿 27宿(牛宿にあたるアビジットを除く)
区分の性格 従来の28宿の区分 黄道を等分する体系
観測への使用 観測に使い続けた 観測には取り入れられず、占いの知識として使われた

宿曜は、月の位置で読む占いです。四柱推命は、干支の暦で読みます。読み方の仕組みが違うだけで、優劣を示すものではありません。

宿曜道は何をしたのか?

Kotykは、日本の仏教占星術を2つに分けています。

1つは、密教の占星術です。真言宗や天台宗の儀式で、吉日を選ぶために使われました。Kotykは、宿曜経を中心とする、インドの材料が多い体系とみています。

もう1つが、宿曜道です。10世紀後半に現れた、宿曜師(僧の占星術師)の系譜を指します。宿曜師は、生まれた時の星の配置を読むホロスコープ術を使いました。『源氏物語』にも、宿曜の占いをする人物が登場します。

Kotykによれば、桃裕行の研究では、宿曜師が主に頼った書は宿曜経ではありませんでした。李弥乾が唐に伝えた『都利聿斯経』でした。

インド由来と言えること、言えないこと

宿曜道の占いを、ひとことで「インド占星術」と呼ぶと、研究の見方と合いません。由来ごとに分けると、次のようになります。

内容 由来についての研究の見方
27宿、白月と黒月の周期、「三九の法」 インドの占星術に共通する材料だと、Kotykはみている
七曜 ギリシャ・エジプト起源。イラン、インドを経て伝わった(矢野道雄2003、Kotyk経由)
宿曜道のホロスコープ術 イラン・ヘレニズム由来の要素が強い。道教由来の要素も含む(Kotyk 2018)

Kotykによれば、当時の日本の僧の多くは、ホロスコープ術の由来を意識していなかったようです。宿曜経以外の書は、漠然と「インド」から来たものと信じられていたとみています。

現代の宿曜占星術との関係

宿曜経を空海が日本へ持ち帰ったことは、上で見た研究でも示されています。現代の書店には、宿曜経にもとづくとされる占星術の本もあります。Kotyk(2018)は、現代のそうした書籍の多くが扱うのは宿曜経であり、ホロスコープは扱わないと述べています。この点で、宿曜道が用いたホロスコープ術とは内容が異なると、Kotykは指摘しています。

これは、2018年時点の1人の研究者の見解です。現代の書籍や実践者の主張の当否、実践の価値を、当サイトが評価するものではありません。Kotyk自身は、現代の宿曜占星術の成り立ちを調べる研究に価値があると述べています。

27宿と28宿は、なぜ数が違うのか?

Kotykによれば、インドのナクシャトラには、28個の一覧と27個の体系があります。28個の一覧は、古い聖典に見えます。27個の体系は、仏教の共同体では比較的新しい変更だったとみています。

Kotykは、27個にした背景を十二宮との調整と説明します。黄道を108に分けます。12の宮は、それぞれ9つの区画を持ちます。27の宿は、それぞれ4つの区画を持ちます。27なら割り切れますが、28では割り切れません。

Kotykは、除かれた牛宿(アビジット)は範囲が小さい宿で、除いても全体を等分しやすくなると説明します。

中国は、この27宿を観測には取り入れませんでした。観測は、従来の28宿のまま行われ、27宿は占いの知識として使われました。

分かっていないこと

次の点は、調べた範囲では、確かなことが分かっていません。

  • 現代の宿曜占星術が、いつ、誰によって整えられたのか。
  • 宿曜経の「三九の法」を、人と人の相性表として使う用法が、いつ成立したのか。

まとめ

  • Kotyk(2018)によれば、宿曜経は759年に不空の名で最初の版ができ、764年に改訂されました。空海は806年に日本へ持ち帰ったと述べています。
  • 七曜は外来の仕組みです。Kotykは、空海を日本への導入者とみなすのが妥当だと述べます。
  • 宿曜道は、10世紀後半に現れた宿曜師の系譜です。Kotykは、ホロスコープ術が中心で、イラン・ヘレニズム由来の要素が強いとみています。
  • 宿曜道の占いを、ひとことで「インド占星術」と呼ぶと、研究の見方と合いません。
  • 現代の宿曜占星術は、中世の宿曜道が使ったホロスコープ術とは内容が異なるとする、Kotyk(2018)の指摘があります。

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出典・関連資料

  • Kotyk, Jeffrey. “Japanese Buddhist Astrology and Astral Magic: Mikkyō and Sukuyōdō.” Japanese Journal of Religious Studies 45(1): 37–86, 2018. https://doi.org/10.18874/jjrs.45.1.2018.37-86
  • Kotyk, Jeffrey. “Buddhist Astrology and Astral Magic in the Tang Dynasty.” Leiden University 博士論文, 2017. https://hdl.handle.net/1887/54858
  • Kotyk, Jeffrey. “The Sinicization of Indo-Iranian Astrology in Medieval China.” Sino-Platonic Papers 282, 2018. https://sino-platonic.org/complete/spp282_Indo-Iranian_Astrology_China.pdf
  • 矢野道雄『密教占星術:宿曜道とインド占星術』東京美術選書49、1986年。書誌のみ確認。
  • 矢野道雄『星占いの文化交流史』勁草書房、2004年(新装版2019年)。書誌のみ確認。