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四柱推命はインド占星術から生まれたのか? 確認できること・別系統のこと・わかっていないこと

占いの文化・歴史
藍の星空の川と朱の日の川が霧の中で近づく、二つの占術の関係をイメージした挿絵

四柱推命がインド占星術から生まれたことを示す史料は、調べた範囲では確認できていません。無関係だったと示した研究も、確認できていません。確認できるのは次の2点です。唐の時代に、外来の占星術が中国へ入ったこと。同じ時代に、干支で運命を読む実践があったこと。両者の因果はわかっていません。

「インド起源」と言える根拠はあるのか?

インドの占星術との交流があったことと、四柱推命がインドで成立したことは別です。

反対に、インドとは無関係に成立したと示した研究も見つかっていません。

そこで、この記事では事実を3つに分けます。関係が確認できること。似ているが別系統のこと。わかっていないことです。

なお、この記事で「インド占星術」は、ナクシャトラや惑星の配置で読む、インド起源の占星術の総称として使います。流派ごとの違いは扱いません。

四柱推命側の最古級の記録:李虚中と韓愈の墓誌銘

四柱推命の源流とされる人物に、唐の李虚中がいます。生前の様子は、韓愈が書いた「殿中侍御史李君墓誌銘」に残っています。

李虚中は官僚で、813年に52歳で亡くなりました。墓誌銘には、五行の書に深く通じていたと書かれています。

その方法は、生まれた年・月・日の干支の組み合わせから、寿命、身分、吉凶を推すものでした。この箇所を読む限り、外来の星や天体の名は出てきません。出生時刻にあたる記述も見えません。

李虚中が使った年・月・日の干支は、生年月日から求められます。年・月・日の3つの柱は、命式の計算で確認できます。

なお、『李虛中命書』という書物は、李虚中を注釈者に掲げています。ただ、序文の年代に食い違いがあり、李虚中の著作とは断定できないと、Kotyk(2018)は注記しています。

同じ時代に中国へ入った外来の占星術

唐の時代には、インドやイランの系統をひく占星術が中国に入りました。年代のわかるものを並べます。

年代 出来事
635〜638年頃 中国で最古級の七曜(1週7日)への言及。景教(東方系キリスト教)の文書に見える
718年 瞿曇悉達が、インドの天文書『九執暦』の原典を漢訳する
759年・764年 不空の名で宿曜経ができ、764年に改訂される
795〜805年頃 西インド出身とされる李弥乾が、ギリシャ系の占星術に連なる『都利聿斯経』を中国へ伝える
813年 李虚中が亡くなる

九執暦は、中国の占星術にはあまり影響しなかったと、Kotyk(2018)はみています。

李虚中が亡くなった813年は、李弥乾が来た頃の数年後にあたります。ただし、年代が近いことは、影響があったことを意味しません。この記事は、影響の有無を判断しません。

外来の占星術を実践したのは、仏教や道教の僧・道士でした。国家の星占いには外来の影響が小さく、民間の暦書や占いには外来の考え方が入ったという見方もあります。この見方は、Pankenier(2016)のものとして、Kotykが紹介しています。

関係が確認できること

中国の暦や占いの世界に、インド・イラン系の要素が入ったことは、研究で確認されています。ここで言えるのは、四柱推命の周辺の話です。四柱推命そのものへの影響ではありません。

事項 確認できる内容
七曜(1週7日) 中国固有の習慣ではない。不空の宿曜経で、占いの内容が詳しく説明された
二十七宿 宿曜経は、牛宿(アビジット)を除く27宿を使う。中国は観測に28宿を使い続けた
羅睺・計都 インド起源の、月の軌道にかかわる名。中国の星命術が取り入れ、計都の意味を変えた
星命術 唐の後期から外来の技法を取り込み、羅睺・計都・紫氣・月孛を含む十一曜で読む
三命通会と星命術 四庫全書の提要は、三命通会の著者・萬民英が、惑星で読む『星學大成』も著したと記す

最後の行は、四柱推命の古典と星命術が、同じ著者の手で書かれたという事実です。四柱推命が星命術から生まれたことを示すものではありません。

似ているが別系統のこと

四柱推命とインド占星術で、似て見える点を4つ挙げます。似ていることは、同じ系統であることの証拠になりません。

人生を期間で区切る点は、大運とインドのダシャーで共通します。大運は10年ごとです。ダシャーは惑星ごとに6〜20年で、全体は120年です。起点も換算も違います。大運は大運の記事で解説しています。

12に分ける点は、十二支と十二宮で似ています。十二宮は、メソポタミアで生まれた考え方です。十二支の由来は、この記事では確認していません。

月という言葉も、共通に見えます。月柱の「月」は、節入りで区切る暦の月です。天体の月の位置は使いません。インドのナクシャトラは、天体の月が通る27の区分です。見ている対象が違います。節入りは節入りと立春の記事で説明しています。

五行と惑星の対応も、別系統です。金星を金、木星を木、水星を水、火星を火、土星を土と呼ぶ習慣は、唐より前の中国にありました。蕭吉の『五行大義』から確認できると、Kotykは述べています。外来の占星術が入る前から、中国にあった考え方です。

わかっていないこと

次の点は、調べた範囲では、確かなことがわかっていません。

  • 四柱推命の成立に、外来の占星術が影響したかどうか。影響を示す史料も、否定した研究も見つかっていません。
  • 三命通会の卷三に出る「羅計孛」という語が、星命術の羅睺・計都・月孛と同じ対象かどうか。原典の照合が済んでいません。
  • 『李虛中命書』が、李虚中の時代のどこまでを伝えているか。

今後、影響を論じた研究が見つかれば、この節を更新します。

「インド起源」と書かれた説明は、どこを見て見分けるか?

この節は、特定の書籍やサイトを指すものではありません。説明の質は、次の4点で確かめられます。

  • 文献の名前と版が書かれているか。名前のない「古い文献」では、確かめようがありません。
  • 年代の根拠があるか。年代だけを大きく書く説明は、根拠を尋ねる価値があります。
  • 「起源」と「影響」と「類似」が分けて書かれているか。似ていることを、起源の証拠にしてはいけません。
  • 確かなことと、わかっていないことが区別されているか。

この4点は、他の占術の由来を読むときにも使えます。他の占術との違いは、四柱推命と算命学の違いでも整理しています。

まとめ

  • 四柱推命がインド占星術から生まれたことを示す史料は、調べた範囲では確認できません。
  • 唐の時代に、外来の占星術が中国へ入ったことは確認できます。宿曜経、羅睺・計都、七曜が例です。
  • 李虚中の墓誌銘の該当箇所には、外来の星の名が出てきません。ただし、全文を網羅した確認ではありません。
  • 三命通会の著者は、惑星で読む星命術の書も著しています。これは関係の手がかりですが、影響の証拠ではありません。
  • 成立への影響の有無は、わかっていません。

あわせて読みたい

出典・関連資料

  • 韓愈「殿中侍御史李君墓誌銘」(『全唐文』巻564)。中国哲学書電子化計画・維基文庫の電子テキストで確認。
  • 萬民英『三命通会』十二巻(四庫全書本)。提要と卷三「總論諸神煞」。維基文庫の電子テキストで確認。
  • Kotyk, Jeffrey. “The Sinicization of Indo-Iranian Astrology in Medieval China.” Sino-Platonic Papers 282, 2018. https://sino-platonic.org/complete/spp282_Indo-Iranian_Astrology_China.pdf
  • Kotyk, Jeffrey. “Japanese Buddhist Astrology and Astral Magic: Mikkyō and Sukuyōdō.” Japanese Journal of Religious Studies 45(1): 37–86, 2018. https://doi.org/10.18874/jjrs.45.1.2018.37-86
  • Kotyk, Jeffrey. “Buddhist Astrology and Astral Magic in the Tang Dynasty.” Leiden University 博士論文, 2017. https://hdl.handle.net/1887/54858
  • 大運の換算の記述は、三命通会(明・萬民英)に基づく。詳しくは大運の記事を参照。